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2007年05月08日

朝日、毎日両紙は高校野球の主催を降りるべきだ

阪神が8連敗中ですが、その話ではなく「特待生」問題で揺れる高校野球についてです。

『「興行」と「教育」は両立しない』というのがスポーツライターの玉木正之氏の意見ですが、それに同感です。
数あるスポーツのなかでも戦前から野球は特別で、アマチュアであろうが「金」がかかるし、また興行として「金」がとれる(成立する)んですね。

「いい選手を集めて鍛える」という強化策に邁進した数多くの高校が出てきたのも春夏の甲子園を頂点とした「興行」があったからです。

主催者で興行主(?)である朝日、毎日両新聞社は、今回の事態の責任を感じて、その立場から降りるべきだと思います。両社は今回の事態の当事者であるはずなのに、他人事のように報道だけしている。もしそのことへの言及をしているようなら教えてほしい。
NHKや関係民法TV局による中継も一旦おしまいにして。高校野球の報道って新聞社が自分で「ニュースづくり」をやってるということですよね。結局は自社の宣伝のためです。

その代わり、両新聞社(でなくてもいいけど)は地域スポーツクラブによる(高校生)野球チームの育成への支援を行っていくというのはどうですか。そういうチームが全国各地に出来て、全国大会ができるようになったら、また「興行」を復活させればよろしいのではないでしょうか。

2007年04月13日

「ヨセミテ国立公園大好き!」 サーバー乗り換え

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私が設置しているウェブサイト「ヨセミテ国立公園大好き!」 (http://www.yosemite.jp/ )でサーバーのエラーが頻発し、動作がおかしくなっていたのですが、原因としては「エントリー(記事)数、カテゴリー数の増加にウェブサーバーの能力が追いついていない」ということと判明しました。

そこで、同一レンタルサーバー会社で容量およびスペックの高い契約に切り替えることとしました。

同一社内とはいえ、異なるサーバー機にすべてのシステムとデータを再構築しなければなりません。
ブログ(MovableType)システムとBBSシステム(yybbs)を再構築し、すべてのデータを転送し、動作や内部リンクを確認し、不具合があれば手作業で直していくのです。
この作業に火曜日の朝から夜まで、ほぼ1日費やしました。
結局この日は大学に行かず。朝から寝間着のままそのまま一歩も家から出ず。(というかPowerBookのまえで同じ姿勢のまま)夜まで突入。

ここ京都での作業と同時に、カリフォルニア在住の協力者もチェックと手直しをしてくれました。ぜんぶボランティアです。ほんとうに頭が下がります。

こうして、サーバー引っ越しが完了したところで、「ヨセミテ国立公園大好き!」に新しい女性執筆者を迎えました。彼女もカリフォルニア在住の日本人で、しかもシエラネバダ山脈の東麓の街Lee Viningに住む唯一の日本人です。ヨセミテ国立公園の東ゲートまで、30分ほどという至近距離。うらやましい限りです。

2007年03月12日

ありがたい?ありがたくない?

自分にとってはコンプレックス(劣等感)でなくて、むしろ誇りだと思っていることがあります。(実はそれは世間一般からみると「劣っている」と見えても仕方のないことなのですが…。)

自分としてはその事実に向かい合うこと自体が自分を肯定すること、あるいは自分のアイデンティティの一部だと思っているのですが、受け取る側はどうもそうではないことがあるようです。

つまりそれは他者からみると、そのことで私がコンプレックスを感じているにように見えていて、しかもそのことを「そんなふうに思わなくてもいいよ」とフォローされることがあるのです。(というか、最近もまたもやありました。)

これは自分にとっては「ありがた迷惑」な話でして、そんな風に思われたくないのですが、そのように受け取られることが、少なからずあるのです。

わざわざそんな話題をしなければいいことなのですが、話の成り行きでそんな話になったりするのです。
対人関係というのは、ほんとうに難しいものです。

おそらく私は世間一般からみると、かなり評価が分かれる人間なのだと思います。

2007年01月26日

論文査読

この時期、大学の仕事では「論文査読」という役割をしなければならない。

「なーるほど」
「ふーんそうきたか」
「ほんまかいな」
「ちと拙速な」
「調べてないやろ」
「あれれ?」(時間切れなの?)
いろいろ出てくる。

今年はまだ本数がそう多くはないけれども、コメントや質問事項まで書くには1日1本できるかどうか。たいへんだ。

2006年10月01日

10月です。新しい立場に

おひさしぶりです。
10月になりました。西村仁志に変化があります。
「同志社大学大学院総合政策科学研究科助教授」に就任しました。
この春に新設されたソーシャル・イノベーション研究コースにおいて、演習、地域環境教育論、地域インターンシップその他を担当します。
「環境共育事務所カラーズ」の活動もこれまで通り細々と続けてまいります。
細々とといえば、メールマガジンが長く出せていません。楽しみにしていただいている読者の方々、情報提供をいただく方にご迷惑をおかけしています。
近々再構成をするなりして、復刊していきたいと思います。よろしくおねがいします。

2006年07月09日

人生に影響する

思いがけず、ある女性と会いました。
先方から声をかけられたのですが、すぐに思い出せなくて…。
そりゃそうです。12年ぶりで、しかも当時私は30歳、彼女は中学3年生。私がコーディネートしていたある活動の現場に、中学生ながらボランティアとして参加していたのでした。
その現場は研修も含めて半年ほどのおつきあいだったと思います。その後は連絡が途切れていて、久しぶりに会った彼女はすっかり大人の女性となっていて、見違えてしまいました。
高校、大学と進学して「ボランティア」が常にそばにあり、大学院ではそれを研究テーマに選んで、いまの「ボランティア・コーディネーター」というポジションに就いたということを聞きました。
「西村さんは忘れていたかもしれないけど、私はずっと追いかけていたのですよ。あのときの体験がいまに大きく影響しているのです。」
自分は成り行き任せのかなりいいかげんな生き方だと思っているのですが、こんなふうに人生が重なり合うことがあるのですね。ほんとうに、うれしいことでした。

2006年06月07日

日々あれこれ

たいへん申し訳ありませんでした。
ついに最新記事がブログのトップページから消えてしまっておりました。
「日々あれこれ」なのに、日々の更新が滞っておりました。あれもこれもないということはないのですが、なかなか更新できない日々が続いております。

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(京都市に合併になった旧京北町にいってきました。上桂川です。)

2006年01月22日

「コニカミノルタ」って会社

コニカとミノルタが合併したと思ったら、もうカメラ事業をやめるという。しかもフィルム、デジタルの両方。デジタルはソニーに事業譲渡してしまう。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/19/news047.html
両社とも写真、カメラが本業だったはずなのに。

「やめるんやったら、最初からくっつくなよ!」 といいたい。

たしかにフィルムカメラ事業に拡大は見込めないというのはあるだろうし、デジタルカメラには莫大な開発、設備投資がかかるわけだが。

結婚して家庭を構えた二人が、さっそく後ろ向きな生き方をしているようで、最初からそれぞれ結婚相手を選び間違えたのではないかと思ってしまう。

  ミノルタは、最初からソニーに近づけばよかったし、
  コニカは、キャノンかニコンに吸収されればよかったのではないか。

そうすると、違う未来が描けたような気がする。


個人的にはミノルタのカメラには惜しみがないが、コニカがつくっていたフィルムがなくなってしまうのはたいへん惜しい。
なくて「困る」ことはないのだが、選択肢がなくなっていくのが悲しい。

フィルム製造部門もぜひとも引き継ぎ先を見つけてほしいもの。

koduki0601.jpg なぜか涙目のコウヅキ(Nikon D100)

2006年01月19日

鳥のオリンピック

最近テレビを見ていると「トリノ・オリンピック」の話題が増えてきました。
これを耳にすると、私には「鳥のオリンピック」って聞こえてしまうのですが、みなさんはいかがですか。
職業がらそう聞こえるのかもしれませんが、発音もイントネーションも全く同じですよね。

さらに、全世界からあらゆる種類の鳥類が集まって、その体力や能力を競う姿が頭の中を駆け巡ります。

・飛ぶスピードを競う競技
・渡り鳥の飛翔距離を競う競技
・水中に潜れる時間を競う競技(カイツブリとか強いかも)
・陸上競技(ダチョウが強そう)
・一本足で何時間立ってられるかを競う。(フラミンゴとか)

(などなど…)

くだらない話ですみません。

2006年01月15日

ニコン

ニコンがフィルムカメラ事業を大幅に縮小するというニュースが流れていました。最高機種のF6とエントリー機種のFM10の生産販売を残し、今後新製品の開発はもうないということですから、事実上の「撤退」ということでしょう。
リコー、京セラコンタックス、コニカミノルタが相次いで撤退や大幅縮小をしてきましたが、まさかニコンがこんなに早いタイミングでフィルムカメラの大幅縮小をするとは思いませんでした。

ニコンは中学三年のときにFEを買ってもらって以来のつきあいですので、かれこれ28年ものつきあいということになります。一時期キャノンEOSに浮気をしていましたが、D100購入のあとまたF4を中古で購入し、また交換レンズもいくつか手元に揃えました。寂しいですが、今後デジカメでは元気でやってほしいです。

「使い切り」カメラはまだ店頭でたくさん売っていますし、まだまだフィルムの需要があるとは思いますが、いずれ「マニア」のものになってしまうのかもしれません。プロの領域でさえ、かなりデジタル化が進んでいるようです。

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2005年11月04日

夏と冬のあいだ

同志社女子大学チャペルアワー(10/25京田辺,11/1今出川)での奨励のお話です。

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「京都御苑にて」2005.10.22 Nikon D100


私の好きな小田和正の曲に「僕の贈り物」というのがあります。「冬と夏の間に春をおきました。」それから「夏と冬の間に秋をおきました。」という歌詞があります。ついこのあいだまでTシャツで過ごしていたのに、ここ数日は夜や朝がとても冷え込んで、ちょっと暖房が欲しい感じになりました。

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2005年06月29日

水曜日は

ここんところ毎週水曜日は午前中に京都造形芸術大で授業をして、午後は「あそびの達人教室」です。
朝は大学生、午後は小学生。切り替えて切り替えて…。

さて、あしたはついに「愛地球博」に行ってきます。

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「Mariposa Grove,Yosemite National Park」

2005年05月18日

気になること

 いま、いろいろ気にかかることはいくつかあるのですが、16日にアメリカ・ヨセミテでマーセド川の高水位(つまり洪水ですな)で、渓谷への進入が停止されたことはちょいと心配でした。
 今年のヨセミテは冬の間の積雪が多く、冬季閉鎖の道路の開通も大幅に遅れています。いつもだったらもう今頃には全線開通していてもおかしくないのですが、何年かぶりの遅さなのです。そんな状況のもと、ここへきて暖かい雨が降って、一気に川の水量が増えたというわけです。
 幸いにして、通行規制は1日で解除になったのですが、1997年には「百年に一度」という大洪水が起こり、宿泊施設やキャンプ場も大きな被害をうけて4ヶ月近く閉鎖されたのです。そんな記憶もすこし蘇りました。
「もっと心配せなあかんこと、他にあるやろ!」と言われそうですが、いつも頭のなかの何分の一かが、ヨセミテのことを思っているのです。


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「美山・芦生にて」(Nikon D100)

2005年05月07日

プロ野球セ・パ交流戦

阪神は札幌ドームで日本ハムと対戦ですが、昨夜のナイターも、今日のデイゲームもテレビでみてしまいました。
けっこうセ・パ交流戦って、新鮮で注目度が高いかも。
パには頑張っていただいて、セの他チームは、この1ヶ月しっかり負けてきてほしい。とくに中日!

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「鎌倉大仏」(Nikon D100 AF-S Nikkor 24-85mm F3.5-4.5G)

2005年03月13日

「デモクラシー」

鹿賀丈史・市村正親の共演する演劇「デモクラシー」をびわこホールで見てきました。
おっさんばっかり10人の出演で、内容も政治の舞台ということで固いイメージなんですが、所々にユーモアあり、スパイを演じる市村のお茶目な感じなど、3時間まったく飽きることなく引きつけられました。
この後は東京で月末まで、4月には大阪でも公演があるようです。おすすめ!

「デモクラシー」のページへ

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2005年02月16日

「京都議定書」スタート!

 1997年の12月、京都市左京区にある国立京都国際会館で行われたCOP3で採択された「京都議定書」が7年2ヶ月の歳月を経て本日ようやく発効しました。この会議でも日米欧の駆け引き、先進国と途上国との考えの違いがあり、会期最終日を超えての交渉継続があってようやくの議定書の誕生でした。それ以後も米ブッシュ政権による京都議定書からの離脱、ロシアによるの批准の遅れなど「京都議定書」は骨抜き、あるいは闇に葬られるギリギリのところまで行ったわけで、危ういものでした。
 この7年2ヶ月での温室効果ガスの削減は十分に進まず、日本も国際的な約束が果たせるかどうか、これまた危うい状況です。一方で猛暑や台風の襲来など気候変動の始まりを予感させらています。「京都」という名前がついた重みを受けとめて、変革と実践に励んでいきたいと思います。
 わが家ではもう何年も夏の冷房がありません。暑いときは頑張らずにネコのようにぐったりとしてサボっています。みなさんにもおすすめします。

2004年06月03日

フリースクール

 大学院の「調査研究プロジェクト」では「関西地区のコミュニティビジネス」というテーマでやっているのですが、そのなかでも私の所属グループは「フリースクール」をテーマに調査を進めています。
 まずは京都にあるところということで「わく星学校」、そして「NPO法人京田辺シュタイナー学校」に現場での聞き取りにでかけています。もちろん以前からおつきあいのある徳島・阿南市の「TOEC自由な学校」も頭の中にあります。
 子どもも親も自らの選択、自らの責任で学校を選ぶことの大切さ、また親として学校運営に積極的に参画していくということや、親と保護者との間の信頼関係をもつことがいかに大切かということ。また「コミュニティビジネス」ですから、学校のマネジメント面についても、あらためて新鮮な発見がたくさんありました。
 こうしてフリースクールについて深く知るようになると、いまの日本の社会は「教育」を学校という「手の出しようがない装置」に委ねてしまっている現実について実感させられました。私も親の立場として、自分の子どもが通っている学校について「心情的に近いようで遠い」、「暖かいようで、冷たい」、「常識があるように見えて、非常識」などと感じることがあるのです。
 「不登校児童の受け皿としてのフリースクール」というような認識は改められなければいけないと思います。むしろフリースクールのあり方から学んで、いまの学校教育全体を変えていくということをしないと本当の意味での「教育改革」は実現できないでしょう。

■関係リンク
「フリースクールわく星学校」
「NPO法人京田辺シュタイナー学校」
「TOEC自由な学校」

2004年05月27日

社会人大学院生2ヶ月経過

▼メルマガ379号で書いたように、4月から社会人大学院生(同志社大・総合政策科学研究科)になりました。仕事と学業の2足の草鞋生活もまもなく2ヶ月となります。
▼とっている授業は「公共政策論」(今里滋先生)NPOの公益事業や市民の社会起業に焦点をあてた内容です。「海外政策事情」(今里滋先生)原書講読でJOHN EHRENBERGの「CIVIL SOCIETY(市民社会論)」という本を苦労しながら読んでいます。ゼミも「現代社会起業論」で同じく今里先生。「企業と環境問題」(太田元先生)企業の立場から見た環境問題とその対応。「都市政策論」京都市の行政担当者(副市長、局長、部課長)によるオムニバス講義。そのほかに「調査研究プロジェクト」というものもあり、「関西地区のコミュニティビジネス」をテーマにやっています。(これも今里先生)今里滋先生の名前がいっぱい出ていますが、福岡にお住まいの方はご存じではないかと思います。昨年、九州大学法学部をお辞めになって福岡県知事選に出られたからです。地元福岡ではNPO法人「筥崎まちづくり放談会」理事長として活動されておられます。
▼これらの時間割はできるだけ週の前半に固めてとって、週の後半から週末に仕事をしようという魂胆ですが、ありがたいことにいまのところうまく両立できています。期末レポートの時期はどうなっていることやら?ですが。
▼大学院の研究環境ですが、共同研究室(机一台占有可、ネットワーク接続可、24時間出入可)、大学院専用の図書室、研究科専用の図書室、などなど恵まれています。研究室の窓からは相国寺の境内、遠くには五山の左大文字から舟形に連なる山並みが見えています。最近の社会人向け大学院は都心に「サテライトキャンパス」があったりしますが、やはり研究環境をフルに活用しようとおもったら大学の本校ですね。
▼研究科に一緒に入学した人たちのうち2割程度が社会人です。会社員、経営者、公務員など様々で、おもしろいひとたちです。また大学から現役で来ている学生たちも真面目でユニークな若者たちです。こんな新しい世界からいろいろ刺激をうけています。

2004年04月21日

おそろしい話

 イラクで拘束されておられた人たちが解放され帰国されました。まずはほっと一息ですが、帰国するまでにどれだけイジめられたんやろうと思うほどガックリきておられるのが見ていて可哀想です。「国に迷惑をかけて」みたいなことを政府の人間が言う、あるいは態度で示す。そして読売、産経、日経が社説で書く。おそろしい話です。原因を「3人の無謀な行動」ということにして、おしまいにしようという魂胆が見え見えです。「日本人を誘拐して日本政府に要求をつきつける」という図式はべつにイラクでなくても、どこの国ででも起こりうる話なのに。
 ここ数日出てきた「自己責任」論やら、救出にかかった費用は請求するだとか、民間人は渡航禁止にすべきだとかいう話が出ています。一方で何百億円もかけて自衛隊を派遣して水を配る位の活動しかしていない。東京発の話はほとんど茶番みたいな話です。そのことによって民間人が危険な状況に陥っているのですから、これこそ本末転倒な議論だと思います。
 「言われなくてもやる。言われてもやらない。」のが市民活動の本質です。また「危険であるのは承知のうえで、現場で何が起こっているかを伝える。」というのがジャーナリズムの本質でもあるでしょう。それに対して国が制限をかける、また新聞社までもがそういう論に乗っかる。これこそ危険なことだろうと思います。
 新緑が見事な季節です。まちなかで白いハナミズキの花が咲いているのをみると、ちょうどいまの時期からヨセミテ渓谷で咲き乱れる同種のDOGWOODの花を想っています。ここではほんとはこんな話から始めたいのに、どうしてもいま言っておかなければということを書いてしまいました。

2004年04月11日

それぞれの地域で新たな一歩を

 1987年、当時私が20代はじめのころYMCAの職員として滋賀県で小学生の野外活動/自然体験のクラブをはじめたことが、「環境教育」と出会うきっかけです。月1回、琵琶湖や周辺の山々、川などへ子どもたちと出かけ、自然のなかでの仲間との体験を通じて、こどもたちの成長を願う活動でした。

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2004年03月27日

「青少年の環境教育に取り組む」

 学校や地域、職場などで、多様な環境教育が取り組まれるようになってきました。これまで「学びの場」づくりに関わってきた経験から、私が大切に考えていることを紹介します。

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2003年12月01日

「環境共育」とわたしの生き方/西村仁志

■ヨセミテから
ヨセミテ国立公園、壮大な渓谷を見下ろすイーグルピークの頂に一人きりでいる。話す相手といえば、ぽっかり浮かんでいる雲と、岩の陰から時折顔を出す小さなトカゲくらい。自分がたてる音以外、ほとんどなにも聞こえない。渓谷の底をひとりで朝7時に出発してここまで約5時間、約千メートルの標高差を登ってきた。途中にすれ違ったのはわずか5人だけ。
この世のことからすべて離れて、ひとり大自然と向かい合う。目の前には何万年という単位で氷河作用によってつくりあげられた標高差約千メートルの巨大な渓谷が広がっている。
自分はといえばTシャツと短パン一枚きり。デイパックに簡単なランチと水を入れ、ここまで自分の足だけで登ってきた。でも費やした時間も、もっているものもこの大自然とは較べようもない。自分がほんとうに小さな時間のなかで生きているということを思い知らされる。ここは地球的時間の流れにふれあえるところだ。
自分がこんなところにいることは5年前には想像もしなかった。

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