2012年03月 アーカイブ

2012年03月11日

3.11

5日からハワイ島コナに来ています。
日本は3.11を迎えましたね。

実は昨年も3月13日からこちらハワイ島へ来ていました。11日は京都に居て、旅自体をキャンセルしようかどうしようかと考えつつ、また成田空港発着だったので、もし11,12日だったら飛べなかったというタイミングでしたので、13日から空港再開という情報を聞いて、こちらに来てしまったのです。

しかし、ホテルではUstreamで日本から伝えられる津波被害と福島第一原発の状況にに釘付けになっていました。

1995年の神戸のときのことも思い起こしながら、和代ともども日本に帰ってからどうするかを考え、また日本エコツーリズムセンターの広瀬敏通さんがいち早く現地入りして「RQ市民災害救援センター」を立ち上げて緊急支援を開始するという情報も刻一刻とメーリングリストを通じて入ってきました。

帰国したらすぐに「京町家さいりん館室町二条」を拠点とした物資募集と仕分けボランティアの募集をするということで、和代が案内文書の作成にとりかかったのでした。

今回は日本のテレビ、新聞などのメディアからも距離を置いて、ひたすら海のむこうに思いを馳せることにします。
昨年の津波はここハワイ島にも到達していて、家屋や海浜の設備に被害が出ています。日本とは海でつながっているのです。

今日は午後から、標高4205mのマウナ・ケア山に上がります。
サンセットタイムを山のうえで過ごしながら、西に向かって鎮魂の祈りを捧げたいと思っています。

2012年03月02日

「変化の担い手」に

‎2006年から同志社大学大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースに私は新米教員としてその任にあたり、西村和代は第一期の大学院生として前期課程・後期課程を過ごしました。

私の大学生時代は、大学に興味を持てずYMCAに入り浸り。
和代は良妻賢母育成の短大卒でした。

二人とも20代の当時、学問や研究の世界、あるいは社会的活動の世界で40代を過ごすことになるとは想像も出来ませんでしたし、それを夢みたり、願い続けていたわけではありませんでした。

ところが、社会の移り変わりと、大切な方々との出会いによって、こうした新しい人生と、新しい未来が開かれてきました。

また二人ともこの6年間、周囲の状況に衝き動かされるかのように、新しいプロジェクトや新しい拠点をつくり、また院生たちの新しい実践を応援してきました。

えらそうなことは言えませんが、これらの行為は一緒に関わった方々の人生や社会の未来を、確実に変えてきたと思います。

昨日までの研修会で『変化の担い手であれ』と言い続けてました。そんなことから、少し自分たちのことを振り返って考えてみました。

これからも、次の一歩を踏み出していきます。