2012年02月 アーカイブ

2012年02月24日

「地球人と宇宙人ほどの差がある」

またまた「ソーシャル・イノベーション」についての議論の続き。

『自分ごと』にする。
『社会ごと』にする。

ということを先だって投稿しました。
これにはたくさんの「いいね」とコメントをいただいて、また考えました。

『自分ごと』にする。
『社会ごと』にする。
には段階があって、
まず、学習段階として『自分ごと』にするというのがあるのかなぁ。と。
そして、実践段階として『社会ごと』にするのかなと。考えました。

学習段階は、機会提供を受けて学習するということ。
実践段階は、機会提供をする立場になるということ。です。

これは、実は以前から弟子たちに言い続けているのですが、
「地球人と宇宙人ほどの差がある」と考えています。
学習段階に続くその先に実践段階があると考えない方がいい。

学習によって『自分ごと』になったとしても、リスクを負って大気圏を出ることをしない限りはソーシャル・イノベーションは始まらない。ということです。
酸素のないところで、酸素を作り出しながら生きていくことに踏み出していくのが「宇宙人」です。

そして宇宙人になって、地球を見下ろしてみると地球人の気持ちがわかります。『自分ごと』にした人たち、しようとする人たちの気持ちです。

ところが、地球人のほうからは、宇宙人のほんとうの気持ちはなかなか理解しがたい。『社会ごと』にしようと、リスクを負って一歩を踏み出していく人たちの「真の思い」です。

もうすこしまた、みなさんのご意見を頂戴しながら、考えたいと思います。

2012年02月23日

『自分ごと』にする

『自分ごと』にする。
というのは、いや逆ではないのかと、考えている。

社会や地域、あるいは地球上に存在するあらゆる問題は、まあ『他人ごと』で、それらを『自分ごと』にすることは実は容易ではない。

しかしそれよりも、自分の関心事や、近しい人々に起こっている問題を『社会ごと』にするというふうに考えたほうが自然なのではないか。
また、近道ではないだろうか。

問題は『発見される』のではなく、まさに自分自身や身近な人々に『起こる』ものだと思う。

こうして、『私の置かれている現実と必然性』に衝き動かされて動き始めるのが、ソーシャル・イノベーターではないかな。

2012年02月22日

「ソーシャル・イノベーション」はそこから始まる

現在の社会、環境、人々の暮らしのなかに何か問題を感じて、「これは、私がなんとかしないと」と思い、自分でなにかを始めること、仲間とともに動き出すこと。「ソーシャル・イノベーション」はそこから始まる。

社会を変えることは簡単ではないが、それを始めることはできる。

2012年02月21日

コーディネーター

今日のとある会議での私の発言。

「****」に理解ある人に「コーディネートのスキル」を伝授して「****コーディネーター」を育てるよりも、既に地域や社会でいろんな繋がりを持って活動している方に「****」について理解してもらったほうが、物事が進んでいくのが早いですよね。

(「****」にはあなたの関係しているテーマを入れて読んでみてください。例:「環境教育」、「地域福祉」とか「異文化共生」とかなんでもかまいません。)

この発想は昨年、大阪でのESDコーディネーター研修を企画する際に、関係者から出てきたものです。

2012年02月17日

「ソーシャル・イノベーション」の研究

「ソーシャル・イノベーション」の研究のなかでも、私が大学院生たちとで展開してきた領域は

まずもって
「私の置かれている現実と必然性」にもとづく社会的実践による研究
であり、
「ローカル」で「リアル」な関係のなかでの実践研究
あるいは
「土地に根ざす学び」の社会的実践による研究

だったのだなと、あらためて思います。

2012年02月16日

残りの95%をどうやって

たしかに、3時間の講座、2泊3日の研修会、15コマの講義…。そういうものの中に、学びの目的を達成するコンテンツを収めていく「術」は上手にできるようになりました。
そういうところではいっぱい経験も積んで、これも歳の功です。
しかし、そういうものを足し合わせても、5%にしかならないように思います。

残りの95%をどうやって表現しよう。どうやって伝えよう。
その「先」の学びにどうやってつなげよう。
さらに「学び」のさらに先にある「未来づくり」への参加まで。

5%と95%

昨夜、中野民夫さんと京都で飲んで話したこと。(院生たちにも聞いてもらった)
それから、その後に考えたこと。

中野さんやぼくが大学、大学院の講義とか演習という枠組みのなかで、自分の持っているものを表現して伝えられるのは、おそらく5%くらいかなと思います。
残りの95%は、そういう枠組みの外でしか伝えられないのです。

特に大学の講義というのは、教員がそれまで体験し、議論し、煮詰めて、さらにそぎ落としたエッセンスや核心みたいなことだけを語ることになります。「いま、ここ」を共有することが難しい。

残りの95%の機会は、大学とはまったく別のワークショップ、ネットワーク集会かもしれないし、屋久島やヨセミテの自然のなか、まちのなかの「現場」かもしれません。

だから学生、院生のみなさんはぜひ一緒に「現場」に出かけてほしい、あるいはぜひ一緒に「現場」をつくり出してほしいなと思います。「いま、ここ」を一緒に体験するなかで生まれる学びから、ぜひたくさんのことを学び取ってほしいものです。

2012年02月12日

修士論文公聴会が終わり

この土日の2日間行われた同志社大学大学院総合政策科学研究科の修士論文公聴会が終わりました。
私は昨年9月で教員の任期を終えたのですが、それまで論文(研究)指導を担当していた院生が2名いましたので、副査として審査にあたりました。
(実質的には12月末の提出まで、論文執筆の指導をしたわけですが)
また、その他にもソーシャル・イノベーション研究コース、そして他コースでもいろいろ交流のあった院生たちも論文を提出して発表を行いましたので、出来る限り参加して聞かせていただきました。
今年は大きな波乱(?)もなく、拍手をもってめでたく通過する院生がほとんどで、ほっとしました。
それぞれ公聴会で指摘されたことを加筆修正して再提出する期間が認められていますので、ほとんどの院生は最後の手直しにあと数日取り組むことになります。

終わってからは、M1院生たちが企画してくれた「おつかれさん会」で軽食をつまみながらイッパイやりました(ぼくはワイン)。ソーシャル・イノベーションの実践活動(「社会実験」と呼んでいます)や論文執筆をふりかえる話、院生生活の話などなど花が咲きました。
ソーシャル・イノベーション研究コースは先にアップした写真でお分かりいただけるように、社会人院生、若い院生を含めてなにか家族のように仲良くて、また先輩後輩の関係もいい感じです。社会実験をお互い手伝いあったり、実践や論文に行き詰まったときに相談しあったりと、結構それぞれ「濃いー」関係なんですよね。
一次会が終わってからもまた別のカフェに場所を移して、席の組み合わせをかえて話が続きました。(M2院生たちはまた次のお店に行ったようです。深夜未明まで飲むのでないでしょうか。笑。)

さて、これで5年間4期にわたって指導してきた西村ゼミ&ソーシャル・イノベーション研究コース院生たちへの研究指導が終わり、それぞれ巣立っていくことになります。(実は長期履修制度の社会人院生がまだすこし残っておられますが、、、、)

嬉しいやら、名残惜しいやら、寂しいやらですが、、、、
これからは、それぞれの地域や組織でのソーシャル・イノベーターとして、そして同じ研究者として、上下関係なく一緒に仕事、活動、議論ができればと思います。

来月、学位授与式の晴れ姿でお目にかかれることを楽しみにしています。

2012年02月06日

オヤジ大学院生として学ぶ(9)

承前。
2005年の11月はじめ。今里滋先生から「ソーシャル・イノベーション研究コースの新設にあたって3名、任期付の教員(5年任期)を採用するので、その1名として加わってほしい」旨の連絡をうけたという話の続き。

ちょうど環境共育事務所カラーズの「子どもの居場所づくり」事業「あそびの達人教室」を開催しているとき、今里先生から私のケータイ電話に連絡を受けたのでした。
大学院生活の2年め。まだ修士論文を書いている途中の段階です。常識的にはありえない話です。

いわゆる学部レベルの講義は、これまでも非常勤講師として大阪薫英女子短期大学、同志社女子大学、日本福祉大学、平安女学院大学で担当してきました。
しかし自分の研究や論文執筆さえもまだまだ怪しいのに、大学院生の研究指導、論文指導などできるのかどうか。
これは大きなチャレンジになるなと思いました。でもこれは自分だけではなく今里先生にとっても大きなチャレンジだったと思います。

先生にはメールでこんな返信をしていました。
「ご連絡いただきありがとうございました。なにせ気楽な個人事業ですので、いつでも身軽に動けます。
 今後のことは先生に委ねいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。準備すべきことがらがありましたら、いつでもお申し付け、お呼出しください。」

研究業績を評価していただくと言うより、社会での実務経験を評価していただいての教員採用人事ということになるわけですが、研究科に院生として在籍していた(つまり、研究科教授会で票を投じる他の先生方にも、すでに私のことがばバレてる!)だけに当時の研究科長の新川先生、そして今里先生には、ハラハラドキドキの人事案件だったのではと思います。
念のために二段階の人事案件となり、まず嘱託講師として2006年4月から採用。3月に修士学位を得た上で2006年10月から助教授(5年任期付)としての採用人事と大学院担当の人事ということで諮られたのではないかと思います。

一方で、引き続き研究を続けるべく、博士後期課程へ進学したいという意欲も沸いてきました。
ところが同志社大学では教員と学生を同時にやるわけにはいかないというルールになっています。
「他大学の大学院後期課程に」という手はないわけではないものの、教員のほうの話を進めていただくこととして、後期課程については断念せざるを得ないことになりました。

(博士学位取得に関しては後でまた書くこととします。)

2012年02月05日

オヤジ大学院生として学ぶ(8)

M2院生として修士論文執筆中の2005年10月末。激震が起こります。

研究科長の新川先生、そして今里先生が中心となって文科省「魅力ある大学院イニシアティブ」に応募されていた「ソーシャル・イノベーション研究コースの新設」がなんと採択されたのです。
「地域社会に生起する具体的な公共問題を解決できる実践能力を兼ね備えた行動型研究者の育成」を目的とし、キャンパス外に京町家や農場を「社会実験施設」として設け、そこで新しい実践型の政策研究を展開していこうという野心的な取り組みでした。そして2年間にわたって潤沢な資金がおりてきます。

ここにそのときの「開設にあたって」の文章があります。
http://sosei-si.doshisha.ac.jp/mission/

そして、なんと半年後のコース開設に向けての諸準備を、今里ゼミ、新川ゼミを中心になんとわれわれ院生たちも戦力となって手伝うことになりました。
・賃貸可能な「京町家」や「田畑・農家」を捜すこと。
・コース説明会の開催。
・「ソーシャル・イノベーション研究コース」受験者の確保
・3月に食をテーマにした国際シンポジウムの開催。

などです。11月には何度もミーティングを行って、具体的な諸準備にとりかかりました。(M2はみんな修士論文を抱えながらだったのですが、、、、、)

また、その一方で私の方には、今里先生から「ソーシャル・イノベーション研究コースの新設にあたって3名、任期付の教員(5年任期)を採用するので、その1名として加わってほしい」旨の連絡をうけたのです。(続)

オヤジ大学院生として学ぶ(7)

社会人大学院生の話の続き

というわけで「自然学校の発展と課題」という修士論文を書いたわけですが
社会人院生が「論文を書く」ということは、いまさらにして思いますが大変なことなんだなあと思います。
仕事をしながらなので、論文のことばっかり考えているわけにはいかいし。

気分を「論文執筆モード」に切り替えて、没頭するためにはちょっとまとまった時間がいるんですよね。
夕食後の数時間では、メールの返事とか書いているうちにあっという間に時間が過ぎてしまいます。
論文を書くための「時間」ではなく、論文に没頭できる「日」をつくって、集中しないと、なかなか進まないんです。

しかし私自身はサラリーマンではなくフリーで仕事をしていたので、そのへんはうまく研究のことに充てる日や時間をつくり出せたのではと思います。
執筆の場所も、院生共同研究室には自分のデスクもあったし、自宅近くの某大学図書館などもせっせと活用させていただきました。
ありがたいことでした。

それにしても、締め切り(当時の総合政策科学研究科の提出締め切りは1月12日ごろ)は確実に迫ってます。
自然学校関係では毎年11月中旬に「日本環境教育フォーラム・清里ミーティング」がありますから、ここが最後の関係者ヒアリングのチャンスでしたが
そのへんの話もなんとか盛り込むことができました。

指導教員の今里先生からは「クリスマスごろには書き上げて見せてくださいね」と言われていましたが、なんとか間に合いました。
その後いただいたコメントにしたがってまた改稿。

提出前は2日間かけて最後のチェックを行いました。誤字をまだまだ発見、そして注のつけ方についての不統一がゾロゾロと出てきました。
プリントアウトしてレバーファイルに綴じてから参考文献に重複を発見したりもしました。ヤバいヤバい!
そんなこんなで締め切りまでに無事提出することができました。
(後になってこんどは院生を指導する立場になるわけですが、こんなにスムーズに運ぶことはまずありえないです。)

論文を提出したあとも、ゆっくりはできません。つづいて学位審査公聴会の準備へと続きます。

さて、いまこの修士論文「自然学校の発展と課題」を読み返してみると、「なっていない」というか、ダメダメだらけです。
「ゴール」ではなく、「通過点」だということがあらためてわかります。

そして、論文は自分で書いてみて初めてどうやって書くのかがわかるんですよね。
論文の構成や形式のこと、文体のこと、文献の探し方、引用の仕方、それからMs-Wordの使い方(というか飼い慣らし方?)などなど。

前期課程修了で修士号をとり、研究生活を終えてしまう方も多いのですが、もったいないと思います。
「論文を書く」ことを通じて「論文を書く」ということの意味や方法がわかったわけですから、ぜひこれは「通過点」として、次の研究へと進んでほしいものですね。

2012年02月02日

オヤジ大学院生として学ぶ(6)

今里先生の「ソーシャル・イノベーション研究コース」の「魅力ある大学院イニシアティブ」応募の話は、ちらっと聞いていたかもしれませんでしたが、まさか後々に自分に関わってくる話とは考えも及ばすでした。一大学院生としては自分の目の前の研究、修士論文のことを進めないといけません。

入学時は漠然と、自分のやってきた環境教育関係の仕事、国や自治体と進めてきた環境意識の普及啓発、人づくり等の仕事などのことを研究論文としてまとめたい位の漠然とした考えしかありませんでした。(「そんな簡単なことじゃない」というのは今更思います。)

今里先生の講義「公共政策論ー現代社会起業論」や公共の哲学を取り扱った「公共性論」、「海外政策事情−市民社会とガバナンス−」での英書購読(John Ehrenberg著Civil Society: The Critical History of an Idea『市民社会—苦難の歴史を歩んだ思想』)、そしてゼミでの発表や議論を通じて「行政なんぞに頼ってばかりではなく、これからは市民が実力をつけて、社会の問題解決の主役になっていかんとあかん」というマインドを叩き込まれることになります。

というわけで、自分のやってきたこと、つながってきた人々やテーマを考えて、「自然学校」のことを取り上げて修士論文を書こうと考えました。
「自然学校」とは、「自然の中で教育活動を展開する団体や拠点」、「自然体験学習を主とした学び舎」で、1980年代から日本各地につくられはじめていました。
関係者のネットワークもあり、私自身も京都からその末席に連なっていましたので、北海道から九州、沖縄までたくさんの自然学校経営者と出会い、また一緒に仕事をしてきたのでした。ほんとうにユニークで個性的な方々ばかり(自分もそう言われていますが)で、こういう繋がりから拓いていく新しい教育のかたち、新しい仕事のかたち、そして新しい地域づくりのことを論文に書いていきたいと思ったわけです。

そして「自然学校」のことを書いている研究論文はまだほとんど見当たらないことも分かりました。「自然体験学習」のもつ意味や具体的な方法論についての研究は既に教育学や身体運動学の領域からすすめられてきていて、環境教育学会や野外教育学会の方面で成果がみられるのですが、「自然学校」は日本のなかでどのように生まれ、発展してきたのか、社会にどのように役に立つのかという政策モデルとしての研究はほとんどされてこなかった訳です。

そして、ありがたいことに私はこの研究を進める上でのポテンシャルが高い。
仕事場の未整理資料の山を掘り返しさえすれば、このネットワーク関係の資料(報告書、ニュースレター等)が20年分位出てくるし、主要な関係者へのヒアリングの約束はメールや携帯電話一本だけで依頼とアポイントメントが完了する。
わざわざ会いに行かなくても、一緒にやる仕事や出張のついでに60分の時間をいただければヒアリングが出来たりもするわけです。これはオヤジ社会人大学生の大きな強みでした。(続)

2012年02月01日

オヤジ大学院生として学ぶ(5)

院生生活の2年目のことです。今里ゼミも若い院生+おじさん、おばさんで和気藹々楽しくゼミでの発表、議論、飲み会等やっておりました。

大学近くの小さな町家をシェアハウスとしている院生がいて、そこに今里先生が一室を借りられたことが次の展開につながっていきます。

今里先生は当時、博多と京都の往復生活で、京都での宿泊場所をそこに設けられたわけでした。この町家1Fのお座敷部分は共有スペースで、2室をつなげると10数名位の宴会ができる位の広さがありました。先生の料理の腕はプロ級のもので、台所に立たれると、マジックのようにいろんなお料理が出来上がっていきます。
そんなわけで毎週のように、ゼミ生+αで先生の手料理での宴会の連続でした。
そしてこの町家は「江湖亭」と名付けられました。(「江湖ーこうこ」とは古い中国の言葉で、人々が寄り集まって世の中のことをあれこれ議論する場のことです。)

ここから大学キャンパスの外に京町家を拠点とした政策の実践研究の場を設け、実践志向の研究者を育成していこうという発想が生まれてきます。そして当時の研究科長の新川達郎先生と今里先生が諮って文科省の「魅力ある大学院教育イニシアティブ」に「ソーシャル・イノベーション研究コースの新設」として応募されることになったわけです。(続)