2003年11月 アーカイブ

2003年11月28日

考えさせられるスリッパ

surippa.jpg

このスリッパには考えさせられました。

仰るとおり、履かないでおこうと思いました。
しかし、その理由については考えさせられました。

推測の域を出ないのですが

「これは私専用のスリッパなので、他の人には履いてほしくない。」(ならば名前を書くのではないか)

「このスリッパは、履くとなにかトラブルが起きる可能性がある」(ならばわざわざ入口に並べないだろう)

「これはVIP専用のスリッパだ。」(VIPにこんなスリッパは履かせないだろう。」

「これはスリッパのようだが、実はスリッパではない。」(では一体何なのだろう?)

これは沖縄本島の、ある集落の公民館での写真です。

2003年11月25日

「環境共育」とわたしの生き方/西村仁志

■ヨセミテから
ヨセミテ国立公園、壮大な渓谷を見下ろすイーグルピークの頂に一人きりでいる。話す相手といえば、ぽっかり浮かんでいる雲と、岩の陰から時折顔を出す小さなトカゲくらい。自分がたてる音以外、ほとんどなにも聞こえない。渓谷の底をひとりで朝7時に出発してここまで約5時間、約千メートルの標高差を登ってきた。途中にすれ違ったのはわずか5人だけ。
この世のことからすべて離れて、ひとり大自然と向かい合う。目の前には何万年という単位で氷河作用によってつくりあげられた標高差約千メートルの巨大な渓谷が広がっている。
自分はといえばTシャツと短パン一枚きり。デイパックに簡単なランチと水を入れ、ここまで自分の足だけで登ってきた。でも費やした時間も、もっているものもこの大自然とは較べようもない。自分がほんとうに小さな時間のなかで生きているということを思い知らされる。ここは地球的時間の流れにふれあえるところだ。
自分がこんなところにいることは5年前には想像もしなかった。

■一人になる
5年前まである団体の職員として働いていて、毎月給料をもらって、毎年同じ仕事を繰り返していた。「環境教育」というキーワードに引き寄せられ、思い切って勤めを辞め、さまざまな人たちとの出会いに導かれて「環境共育事務所カラーズ」を開いた。アメリカの自然保護運動のふるさとヨセミテを毎年訪れるようになったのもそんな縁のひとつからだ。
一人きりになって目の前にある自然と向かい合うことはとても大切なこと。それは「わたし自身」についても多くのことを気づかせてくれる。イーグルピークまでの険しい道のりと一人きりの時間はそんなすばらしいものだった。
ふりかえってみればこの5年間は「自分さがし」の連続だった。自分はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。自分の関心事や問題意識は何で、自分には何ができるのか。自分はいままでなにをしてきたのか。どんな人たちとつながって生きてきたのか。そんなことを一つ一つ明らかにしていくことで新しい出会いがあり、それはすなわち自分への報酬をともなう「仕事」につながることであった。逆にいえば組織や資格・肩書で働いているわけではないので、それらを分かりやすく提示していかないといけない必要性があったのだ。そうしていまでは「自然体験」「市民参加型まちづくり」「教材・報告書の編集」「エコツアー」「リーダーシップ養成」「人間関係」などさまざまなものが「仕事」としてやってくるようになった。これまではだれも「仕事」としてやってこなかった分野を、「プロの技能」と「普通の市民感覚」の両方をあわせもちながらすすめてきたと思っている。

■人と人の関係をみる、結ぶ
事務所の名前には当て字で「共育」と書き「共に育つ」「共に育む」という意味をもたせている。このなかで大事なことは「人と人の関係をみる、結ぶ」ということ。はじめて出会う人やさまざまな期待をもって集まる人同士を出会わせ、刺激しあい学びあう関係をつくりだしていくということだ。このプロセスをみていくことが「環境共育」の場をつくるうえでの重要な要素となっている。以前働いていた団体で青少年への援助的なかかわりを実践してきたこともこのことに大きく関係している。植物やキノコや動物やゴミの専門家でもないのに、どうやって学びの場をつくりだしているのかという秘密は、じつはこのあたりにある。人間形成から自然体験、市民参加型まちづくりまで幅広い学びの場づくりを実践してきて、環境へのただしい視点や感性を育み、自立した市民とそのつながりをつくることの大切さをますます身に染みて感じるようになった。

■受け継いできたもの
「カラーズ」は「Colors of Nature」つまり自然の色。自宅からほど近い東山の山々や通りの街路樹が季節の訪れと深まりのなかで次々とその色を変えていく。足元にある身近な自然にもひとつひとつ「いのち」が吹き込まれているというシンボルがその「色」だと思っている。こんなことにも心を寄せていくゆとりと感性が私たちの暮らしには欠かせない。私のすむまち京都はもともとそんな「旬」を大切にするまちだ。季節のいちばんおいしいところ、輝いているところをその時期真正面にもってくる。京野菜、漬物、魚、筍、、。四季折々の暮らし方、遊び方。もういちどこんな「生活の伝統」にたちかえってみることもいい。私たちの先祖がこの列島に定住してどれくらいになるのか知らないが、ここで営まれてきた暮らしはこの列島の風土と深いかかわりをもっている。わたしたちが先祖から受け継いできたものはいったいなになのか。きっとDNAに書き込まれているような記憶を再発見していくようなことが次の時代の日本型環境教育をつくっていくうえで大切な要素だと思う。(つまりここでもまた「自分さがし」なのだ)
わたしたちはみな「地球のこども」であり、地域に支えられ、地球に支えられて生きている。そしていつまでもこの営みが続けられるためには、ふんわりと、そしてしなやかにこの母なる大地の上で生きていくすべを受け継ぎ、わかちあっていくことが必要なのだ。

■進む道がみえてくる
ヨセミテでも、京都でも、自然と人間にかかわりながら、自分をさがして、自分らしい生き方がわかりかけてきた。自分の中心軸がみえてきた。
いまは政治も、経済も、教育も、地球環境も先行き不透明。だからこそ内なるものに目を向け、耳を傾ければ進む道がみえてくる。自然にかかわるということは、狂気から一歩退いて、自分の平常心を取り戻すこと。一人になることを恐れずに、むしろ楽しんでみるとほんとうにたくさんのことがみえてくるのだ。
「環境共育」を旗印・テーマにして、家族とともに5年間生きてきた。いまだに「え、それが本業ですか?」と聞かれるが、こうして生きてきたのだから「そうです」というしかない。こんなヘンテコな人間を干上がらせずに生かしておくなんて、この社会も捨てたものではないと思う。みなさんに役立つ限りは、たぶんこの仕事、こんな生き方を続けているだろう。好きなところへ行き、楽しそうな人に会い、いい仕事をして喜んでもらいたい。この文章を読んでいただいているあなたとも、いつか、どこかで、ご一緒できますことを。
(1998年に書いた文章です)