転載:読売新聞「来春のイチゴ復活へ、結束強める地震被災地…宮城・栗原」

 岩手・宮城内陸地震で避難生活が続く宮城県栗原市耕英地区の住民が、41世帯約100人全員の帰宅と復興を目指し、結束を強めている。
 自主組織を作り、来春のイチゴ栽培の再開を準備、道路復旧後のボランティアの協力も取り付けた。
 中心メンバーは、父親世代が開拓した土地を引き継ぐ「2世」ら中年たちだ。
 斎藤謙一さん(55)は、イチゴの復活にかける。夏は通常、来年用の苗の植え付けの作業期。農協を通じて、県の農業試験場などに植え付けを依頼した。「来夏までに戻る」。斎藤さんの言葉に力がこもる。
 耕英は、父直次郎さん(80歳で死去)ら満州(中国東北部)の引き揚げ者や、復員した農家の二男坊らが、地震で壊滅した「駒の湯温泉」を拠点に、ブナの森を伐採してつくった土地。一説に耕英は、「耕す英雄」の意。炭で生計を立てる時期もあったが、「いずれ食っていけなくなる」と鈴木共明さん(84)らが始めたのが、ナメコや高冷地に適した“初夏摘みイチゴ”の栽培だった。
 開拓者の背中を見て育ったからこそ、2世の斎藤さんや大場浩徳さん(47)らは、地震後も耕英に踏みとどまろうとした。2人は今、有志による「くりこま耕英被災復興の会」のメンバーとして、復興に向けた要望を行政側に訴える。引きこもりの若者らの寄宿舎「くりこま高原自然学校」校長、佐々木豊志さん(51)も中心メンバー。2世ではないが、阪神大震災のボランティア経験を持つ同世代で、静岡のNPOなど約10団体と協力関係を作った。大場さんは「今度は自分たちが耕英を作る」と張り切る。
(2008年7月9日15時00分 ?読売新聞)

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